さとうの美味しいごはん

感想・考察など

ひりひりとひとり

2022年6月11日(土曜)、19日(日)千秋楽公演を観劇してきました。

鈴木勝吾さんに興味を持つようになったのが半年と少し前で、その前だったら決して見に行かなかっただろうなというタイプのお芝居です。ストレートプレイの現代劇。

前日譚
 公演PVを観て実はかなりもやもやしていました。
 石丸さち子と東映が贈る、と言われても石丸さち子はよく知らないし、東映は映画作っているところよね。なんだかふんわりとして啓蒙的なキャッチコピーで、自己啓発したい現代人に向けた、自分は高尚な人間で俗な現代人とは違うんだってことを自分に言い聞かせたい層に向けた、チープな教養を感じてしまいました。
 こんな文章を書いている時点で、自分はそっち側寄りで、お買い得で販売されている啓蒙を批判的に捉えることに快感を感じているだけの同じ貉の人間なのかもしれないのだけれど。
 私は、エンターテインメントされに劇場に行き、作品を観ているのであって、決して啓蒙されに行っているわけではない。そう思っているし、これからのエンタメに触れる中でぶれない軸のように保っていきたいと思っている。作品を観たからと言って、そこに込められた作り手の想いを正しく受け取る義務はないし、作品を観たことで何か為になるものを得、自分は作品の作用によって気づきを得られたんだとか、変わったんだとかいうことを発信する必要はない。たかが2時間の映像を観たからといって、人間の何かが変わるはずなんてない。変わっているのだと錯覚することで、2時間をかけて作品を観たことは無駄ではなかったということを、そういった学びを得たのだと自分に言い聞かせる、そんな必要はない。そう思っている。

 

感想

 梅津瑞樹という役者
 この作品で梅津瑞樹さんのお芝居を始めてみましたが、バラエティで普段聞く様子とは全然違った、純朴な演技の人だなと思いました。

 役どころとしては、主演の勝吾さん演じる春夫の二重人格の一人「ぴーちゃん」を主に演じながら、一方で、登場するほとんどすべてのエキストラを一手に引き受けていました。この時点で凄い。

 特に、ナレーションも担当するぴーちゃんから、ホテルの受付のおじいちゃんにくるっと役替えするシーン。「こうして俺たちは、近くのルートインに宿を取った!」ピーちゃんのトレードマークの空色のトレンチコートをひらっとさせながら一回転し、フロントのおじいちゃんに役替わり。受付のカウンターに両手をべたりと置いて、背中をまぁるく曲げて、酷くゆっくりと発声する「……何名様ですか」をみて、一瞬で梅津さんの虜になってしまいました。
 役のふり幅とか、変わり身の早さはもちろんなのですが、それだけではありません。ただナレーションを喋っているだけのぴーちゃんのときも、独り言のように喋る受付のおじいちゃんの時にも共通する、演じているときの言葉にしがたい魅力のようなものを感じました。
 

 お話について

 脚本の石丸さんや主演の鈴木勝吾さんが繰り返し、本当に届けたい物語だと言っていた。その届けたい思いとは、最後の夏子と春男の語りに込められているんだと思う。人と世界はすべて、遠い国の出来事も、壁を隔てて会ったことのない隣人もみんな繋がっていて、一人ではないのだといういうこと。そして、様々なことがままならず、排除されてしまう現代の世の中でも、不要なものやいらない人間などないのだということ。

 公演が次々と中止になるなど、世の中のままならなさに真っ向からさらされている演劇業界の人にとって一番伝えたいメッセージはまさにそれなのだと、しかと受け取りました。

 お話はいろいろなエピソードが絡み合っていて、それ自体が、上のメッセージを暗示しているようでした。
 春男は悲しい過去を持っていて、演劇仲間と甲斐甲斐しい彼女もいるけれど、自分はずっと孤独だと思っている。自分を理解しているのは自分だけで、世界はとてもうるさい雑音に満ちている。自分の心の中に住んでいる西郷さんとぴーちゃんが話し相手だけれど、彼らは自分自身ではあるけれど、でも自分を無条件で受け入れて認めてくれるような優しい人間ではないみたい。時には自分自身が、自分を受け入れることができないように。