さとうの美味しいごはん

感想・考察など

舞台『鋼の錬金術師』

石丸さち子さん脚本・演出の舞台『鋼の錬金術師』を観劇してきました。観劇した公演は以下の2回。

21日(火)18:00~ 一色・和田ペア
25日(土)13:00~ 廣野・青木ペア

発表当初、鋼の錬金術師の舞台を見に行くかとても迷っていました。
というのも、なんだかんだ言って東宝系輸入ミュージカルが大好きなので、若い俳優さんが演じてるキャピキャピの2.5次元(歌わない)で、原作も1回読んだくらいの思い入れの薄めな作品に行って、勢いゆえの粗も含めて作品のテンションに乗り切れるか心配だったからです。

そんなこんなで恐る恐る向かったMy初日公演ですが、結論から言うととても楽しかった。主演のエドのテンションに乗り切れなかったのは最初の30分だけで、物語が進んでいくうちにどんどん舞台上の世界に引き込まれ、いつの間にかエドとアルの2人の心に物語に寄り添っていました。そんなつもりはなかったのに感情移入してお目々がうるうるとしてしまうシーンもありました。
そういえば、アタタミュ観劇を思い出しました。自分の遍歴と何ら接点のない友情熱血ドラマが、石丸さち子の手にかかるとめちゃくちゃ楽しい感動エンタメになるのです。

さて、舞台の感想に入ります。

3時間でだいぶ盛沢山の内容でだったのではないでしょうか。エドとアルの旅路を追うというストーリーにふさわしく、ドライブ感のある進行で、でも大事なシーンが端折られたとか、ダイジェストなんていう感覚はまったくなく、2人に心の動きは丁寧に描かれていた秀逸な脚本だったと思います。

この物語の軸は旅です。そして旅は列車の旅。
冒頭も自己紹介もかねて列車のシーンから始まり、場面転換ごとに列車に乗って移動する兄弟が見られるのですが、この列車の演出もとても舞台ならではの妙が光っていました。
列車を表現するものは扉サイズの木枠が2つだけ。これで列車の接続部のドアをあらわします。Opではハイジャック犯たち相手に列車の縦横無尽に駆け回る兄弟なのですが、それを、木枠を連続でくぐり抜けるだけで、客車を猛ダッシュでハイジャック犯を追って全速力で走っている様を表していました。
また乗客たちの演技もとても個性的で目を惹きました。
列車に乗り込むと名々が自分の座る椅子をもって舞台袖から歩いてくるのですが(この時点でもう愉快)、彼らの旅の列車はごみごみとした3等客室。窮屈そうな座席で新聞をここぞとばかりに広げる紳士に、後ろで話す声にいつ注意しようかタイミングをうかがっているおじさん、帽子を目深にかぶる美女(ラスト)を隣にそわそわしている兄ちゃんなど、とても人間臭くて個性的な乗客たちです。この舞台は、そんな素敵な世界に生きるアンサンブルさんに支えられているんだな。

私は演出の石丸さち子さんのファンになりかけている人間なので、演出の話を少ししますね。

 一番驚いて目を疑ったのは、エドが真理の扉の前に立った対価として左足を持っていかれるシーン。1階席で観たときに、本当にエドの足がつま先の方から虚空に分解されて消えていったのを見て、いったい何が起こったのかと思いました。よくよく考えると、照明を絞るのに合わせてエド役の廣野さんが左足をゆっくり折りたたんでいるのですが、それだけでこんなうすら寒い画になりますか……?見ていて不気味さのあまりぞわぞわと鳥肌が立ちました。

 主人公2人の心に寄り添った丁寧な描写

 3時間という短い尺で主人公2人の心の変化を見せる為に、人の命に焦点を絞った素晴らしい構成になっていたように思います。原作の順番はまるっきり忘れてしまったのですが、大体原作の5巻くらいまで進んだようです。エピソードの区切りごとにさっくり振り返っていこうと思います。

 ① 体を取り戻す方法を探して旅を続ける二人は、綴命の錬金術師ショウ・タッカー氏に対して、研究成果を見せてもらう対価として兄弟2人の過去を語ります。ここでの語り部は、人間だったころのアルフォンス。最愛の母親を失って、「生き返らせたい」という思いを抱いてしまう必然性と、2人が犯してしまった禁忌とその代償を丁寧に描くことで、この物語において「人の命」を人間の一存で扱うことがどんなに重いことで、成そうとしてもできないことなのかというのを教えてくれます。

 ② 2つ目のエピソードは、タッカー氏の娘のニーナとアレキサンダー。父親が研究にかまけていて、毎日一人で遊ぶニーナの姿は、どこか幼いころの兄弟と重なります。兄弟がニーナたちと遊ぶ描写は一瞬ですが、そんなニーナとアレキサンダーに対して、兄弟は心からの親愛を抱いていたんだなと納得させられる描写でした。だからこそタッカー氏の「研究成果」を観たときの2人の絶望と怒りとやるせなさが、強く伝わってきたシーンでした。

 ③ 傷の男との街中の乱闘。国家錬金術師’s+ヒューズ中佐の自己紹介改めびっくり人間ショーです。

 ④ 4つ目は、故郷に向かう途中でマルコー医師のもとに寄り道し、賢者の石への手がかりをしっかり回収しながら、故郷でウィンリーとピナコ婆にご挨拶。こちらのシーンは、兄弟を想い、送る人たちの心が描かれます。

 ⑤ 中央図書館での暗号解読シーン。
 これわざわざシーン分けする必要が無いというのはその通りなのですが、このセントラルに来て、弟が鋼の錬金術師だと間違えられてしょんぼりする辺りの演技は日替わりで、役者さんに任されているんですね。私が見た一色エドは花道から幕を抜けて舞台袖に引っ込んでしまいました。(ちなみにマルコー医師に賢者の石の製造方法を尋ねるシーンで廣野エドは「国家錬金術師なのでお金はあります!」とか言っていましたけど、そのあとご本人がギャンブル狂だと知ってなんだかおもしろくなってしまいました)

 そういえば、この舞台において、「同じことをして数日が経過する」という描写がたくさんあるのですが、この描き方が思い切っていて、それがテンポの良さにつながっているなというこれまた演出の妙を感じました。
 まず、最初に戻って兄弟の回想シーンなのですが、お母さんに錬金術で錬成したものを見せに駆け寄るシーン。毎日毎日新しいものを錬成しては元気に駆け寄っていくのですが、「「おかあさ~~ん!!」」バタバタッ、で一日が始まるのです。これの繰り返しが面白くてとても良かった。
 次が、タッカー氏の書斎で本を読みふけるシーン。こちらも「「今日もよろしくお願いします!」」と元気に挨拶をして、同じ1日が始まります。またまた、中央図書館にこもって暗号解読にいそしむシーン。護衛の隊員の「1日目」「「どよ~~~~ん」」で元気に10日間が経過します。下手にチクタク凝った演出をするよりも、こういったテンションで時の経過を示してくれるのが、この作品には合っていたのだと思いました。

 ⑥ 6つ目は第5研究所で鎧の死刑囚と戦うシーン。しかしここのメインは、エドとアルがそれぞれ投げかけられた、「鎧に魂を定着させられた自分は人間なのか?」という問いです。エドの方は「人殺しは勘弁してくれ!」というように速攻で人認定します。そして、きちんと、自分の弟は人間と認めていることや同じく鎧の死刑囚たちも人間と認めているという、魂の平等のもとに自分の考えが述べられています。一方でアルの方は、自分の記憶も思いもすべて作られたものなのかもしれないという深い疑念に囚われてしますのです。

 ⑦ 7つ目のエピソードは、鎧の死刑囚によって投げかけられた問いに直面して、アルがふさぎ込んでいるところから始まる兄弟喧嘩。そして、ヒューズ中佐の愛娘のエミリアたんの3ちゃいのお誕生日。
 この兄弟喧嘩のシーンが、この物語の一番の山場でオーディションのお題でもあったと石丸さんは言いました。確かに、ウィンリーの「駆け足ーーー!!」という声と同時に始まる兄弟の点対象の追いかけっこと、その後の病院の屋上での思い出話。私はここで気が付きました。私たちはこの物語をウィンリーの立場に立って見ているのだと。強い決意を秘めて誰にも告げず、泣き言も言わずに一人歩み続けるエドと、その想いを理解しながらも、手を差し伸べることは断られ、遠くから見守ることしかできないウィンリー。ウィンリーがアルを怒鳴りつけ、今すぐエドを追いかけるように命じたとき、私は思いがけず目をウルウルさせてしましました。

 ⑧ 最後のエピソードは、リドル・レコルト夫妻の出産立ち合いシーン。(この裏で、ヒューズ中佐が消されているのですが……)この物語で描こうとしたもののもう一つは、錬金術師でない一般の人々が普通に新しい命を生み出して、その成長を祝福している生命の営みだったのだと思います。
 錬金術という夢のような力をもってしても、新しい命を生み出すことも、失った命をよみがえらせることもできない。けれど、錬金術師でもなんでもない人たちの間では、当たり前に新しい命が生み出され、その尊さが尊重され、祝われているのです。先のエミリアたん3ちゃいのお誕生日も、きっと錬金術師ではないヒューズ中佐の愛娘でなければここまでの説得力は生まなかった。そしてラッシュバレーでは、新しい命が生まれる瞬間に立ち会います。そしてそれはお母さんの大変な苦労を伴うものであるけれど、たくさんの人々に待ち望まれ、そして幸福に満ち溢れさせることのできる瞬間だというのを実感するのです。エドは言います。「俺たち錬金術師が何百年かけても成しえなかったことを、人間のお母さんはたったの280日でやり遂げてしまうんだ」

 再び列車に乗り込んで、2人の旅は続きます。
 ホムンクルスの3人も、スカーモ、キンブリーも顔出して、ヒューズ中佐は何かに気づいた様子だけれど、まだまだ何もわからない第一作。次もその次も、兄弟の旅が続くんじゃないかとそんな期待を抱かせるラストでした。制作陣とキャストをそのまま、ぜひ続編を作ってもらいたいな。