さとうの美味しいごはん

感想・考察など

天使について(鈴木さん・石井さん)

前日譚

鈴木勝吾さんが出演される2人ミュージカル。先日公式Twitterから稽古動画が流れてきまして、そこの勝吾さんのお声に導かれるままにチケットを購入していました。決め手はなんといっても、這いつくばって歌っているお姿(0:50~から見られます)。

相変わらず透き通ったの少年の主人公のようなお声も健在ですね。

2月26日(土)13:00~ 鈴木さん/石井さん
3月5日(土)17:00~ 鈴木さん/鍵本さん

の2公演の観劇(予定)です。最初は日程の都合で3月5日の回を取ったのですが、開幕直前のLive配信を観て石井さんと鈴木さんの関係にほっこりしてしまい(勝吾さんは確かに色白ですよね)、ぜひこのお二人の回を観たいと観る前からチケットを追加してしまいました。あと石井さんのお声がかなり低重心で好みで、ふたりのお声でハモったらきっと癖だぞ……という己のセンサーがはたらいたとかなんとか。いつ公演中止になるかわからないご時世ですから、公演は早いものを確保しておくに越したことはないのです。ここのところ楽しみ過ぎて1日に10回くらい稽古動画を見返しています。公演が決定したばかりの頃は、PVや公式サイトやビジュアルカットの雰囲気から食指が動かず、今回は見送りかな~と言っていたのに何が起こるか本当にわからないものです。初日直前&公開ゲネプロで勝吾さんの体調不良を耳にして気が気ではありませんでしたが,無事おふたりの初日が開いてよかったです。

2月26日(土)13:00~ 鈴木さん/石井さん 回

行ってきましたよ!

稽古映像でテンペラって何?ってなって調べて行ったのですが、天ぷらのことだそうです。というの半分冗談で、(半分は本当です。卵を糊代わりに使ってい固めるという意味で語源は一緒だそうですよ🍳)テンペラテンペラ〜♪ ブラーヴァ〜 ブラーヴァ! フレスコ〜 フレスコ〜♪ ブラーヴォ〜 ブラーヴォ!

フレスコ⇒スピード命。古き良き伝統画法。
テンペラ⇒スピードよりクオリティ重視の新画法。しかし重大な欠点あり。

という知識さえあればお話の伏線まで対応可能でした。

✯お話に沿って好きなシーンの長期記憶化のターン

 最初に、石井さんのルカが天使について解説しつつコミカルに登場します。最初〜4曲目程まではルカの独壇場です。石井さんがカンパニーの中で最年長で若い子達に兄貴と呼ばれていたので、さぞかし大人な味わいのあるお芝居が観られるのだろう……(ニヤニヤ)と思っていたら大誤算でした。コミカル★ルカ、可愛いというか狙ってボケ倒してやりますよの、石井ルカ劇場でスタート。

「絶対に失敗してはいけないからな、慎重に……」
「君は画家か?」「本人確認、チェック(真顔)」 
「君は助けを求めていたか?」(コクン) 
「助けを求めていたのは君だな?」「ダブルチェック(事務的だ)」

リアル現場ネコを真顔でやってる天使がおるぞ………とここでもうニヤニヤでした。当初想定していたニヤニヤとは別ですが、まぁ些事です。あと稽古映像ちょっと入っていた「どこなんだ〜♪」と「僕は〜天使!天使なんだ!」もコミカル石井ルカナイズされていて最高でした。最高だったのにどのように最高だったのか覚えていない!悔しい!次の曲も「少し驚くなりしてくれないと次の曲が歌えないじゃないか!」といってオーディエンス無しで歌い始めるのも、(こういうのをぶち込んでくるあたり韓国っぽいっというかネット一人称小説の流行の脚本みがありましたね)とても楽しかったです。

 最初は勝吾さんはジャコモでの登場です。勝吾さんってこういう無邪気な子供の役を演じるときの悪意が無いゆえの残酷さ、ちょっと小憎たらしい子供の感情のお芝居が細かくて毎度どきどきします。そして、その小憎たらしい子供と目をキラッキラさせた無垢さの振り幅を同じ役の中に成立させる技術が本当にすごいなと思います。今回のジャコモは、ルカ対しては突然話しかけてきて偉ぶってる知らん人に対する無遠慮さ、いっぽうで天使を見て話をした感動を人に伝えたいと爆発させているときの透き通るような無垢な感情(勝吾さんのディズニーもかくやという曇りのない主人公ボイス)、そしてダ・ヴィンチ先生に対する反抗期の素直じゃない発言……これら3つを1つの役に並立させていてやはりさすがです。1曲目のルカの「フレスコ~♪」に対するジャコモの「ブラーヴォ~♪」のこう言っておけば満足するんだろ感の演技がまた最高でしたね。また、稽古映像でどちゃくそセクシ~だな~!と思って期待していた「ジャコモもしや、狂っちゃった?(ウインク)」もバッチリ見てきましたよ。お母さんの物真似だとはまさか思わなかったですが、セクシーさの前には些事です。

 この辺りで石井さんがダヴィンチ役で登場するのですが、存在が完璧にダヴィンチでしたね。さっきまでのコミカル新米天使とは纏う雰囲気が一切変わっていました。そしてこちらで期待していた渋い大人の演技も調達可能。10分でチケット代のもとは取りました。

 勝吾さん演じるヴァレンティノは初登場はやや遅めでルカの回想シーンでした。ルカがヴァレンティノの過去を語る歌で、おそらく幻影として舞台の3階から登場します。あまりにも高い所、視界の外からの登場で、最初歌声のみ降ってきたのかと思いました。まさに降臨ですね。舞台の3階?と前情報で観たときにはてながいっぱい浮かんだのですが、文字通り舞台の3階です。

 舞台装置の話をしますが、1階はシンプルにキャスター付きの椅子が1つとでっかい梯子(脚立)が置いてあります。舞台の背景は全面スクリーンになっていて、舞台の背面に渡り廊下のような形で2階があって、額縁のような装飾で四方が囲まれたデザインになっています。そして額縁の上も実は立ち入れるように柵がついていてそこが舞台の3階というわけです。演出は主にスクリーンを全面活用してデジタルに仕上げられていました。キラキラした概念、炎の概念みたいな現代アーティスティックな背景が多かったですね。また、2階の渡り廊下が額縁になっているのもみそで、ここが屋根裏の作業部屋になったり、壁画になったり、ミラノの路地になったり。あと、1階においてある脚立を使って2階に入れます。ジャコモが2階の自室に上がるイメージでしょうか。3階はヴァレンティノの専用席で、天井とかなり近くて見上げる形になります。また、ライトも白一色とスポットが真上からくるのが一つあるくらいで凄くエッジと陰影の効いた、ノスタルジックな写りになります。生なのに写りというのも変な感じですが、実際にそんな感じで、それがヴァレンティノの登場シーンや心情描写にすごくマッチしているように感じました。

 さて、ヴァレンティノの登場シーンは、ルカとヴァレンティノのデュエットです。デュエットといいますか、ルカが主旋律を歌い、それにヴァレンティノが上からヴェールをかぶせているような感じで、勝吾さんのお声にも紗とエコーのかかった効果が入っていました。同じ時代・場所にはいないという回想をうまく表現されていました(欲を言うと全体的にマイクの調整強め音小さめでミュージカル本業のお二人の良さを殺してる節があったかも)。

 ルカとジャコモのシーンが一通り終わると、最初に時間軸が巻き戻って、ヴァレンティノとダヴィンチのシーンになります。ルカが間違えてジャコモの前に登場している間に、ヴァレンティノはしっかりとダヴィンチを見つけて彼の前に姿を現し、ダヴィンチに絵を描くのをやめさせることに成功しています。コミカル☆ルカの演じたダブルチェックも「どこなんだ~」も再演(お手本)を見せてくれるのですが、しかし本人確認とダブルチェックはするんですね。天使の導きマニュアルに書いてあるのかしら。このダヴィンチの絵を描くのを留める描写も歌で表現されているのですが、天使にいいように操られてばたばたと走りまわっているダヴィンチも、指揮者がタクトを振る振り付けで彼の動きを操る勝吾さんもスピード感があって素敵でした。勝吾さんは片手で軽くけだるげに遊びのある表情でタクトを振るっているのですね、ルカとの経験の違いを見せつけていきます。また最初の数シーンと数ナンバーは再演してくれるので聴きのがしてしまってもここで補完できますよ。

 さて、この辺りからお話がメインストリームにのって複雑に展開し始めるのですが、いよいよきました!私がこの公演のチケットを2枚も買ってしまった原因ともいえる、ヴァレンティノ勝吾が這いつくばって歌うシーン。結構な大ナンバーで、始まった瞬間にこの曲だ!とわかったものの当該シーンはなかなか訪れずドキドキそわそわしてしまいました。おそらくこのストーリーのキーポイントかつ複雑なヴァレンティノの過去と心情についての語りなのですが、少し整理すると、かつては主に一番に愛されて寵愛を受けていたヴァレンティノでしたが、ある人間の女性と恋に落ちてしまう。1000年か2000年かそんな近い過去の話です。人間と恋に落ちることは天使にとって禁忌であり、ゆえにヴァレンティノは以来堕落天使としてルカの使命を邪魔し続けている。また、ヴァレンティノを寵愛していた主はヴァレンティノが愛する人間のために流した涙に嫉妬して、彼から涙を奪ってしまい、以来ヴァレンティノは泣くことはできず、笑うことしか、いや、笑うことも難しいんだ……といった感じでしょうか。勝吾くん演じるヴァレンティノはこの、涙を封じられた残酷さと生きる世界が色の無いということに対する嘆きを歌で表現されており、この1曲は期待通り、圧巻の歌声と演技でした。

 ヴァレンティノはダヴィンチに絵を描くのをやめさせるために現れたはずですが、ヴァレンティノは美しいものが好き。彼の絵にほれ込み、彼の絵を自分のものにしたくなります。そしておそらく動機はそれだけではないですね。ダヴィンチに自分の肖像画テンペラ画で描かせることになります。この辺りは私の読解力が足りず推察多めになりますが、ヴァレンティノはジャコモに対して何やら強い思い入れがある様子です。

 ネタバレ考察パートは後に回したいので、先に好きなシーンの紹介を終わらせてしまいましょう。石井さんダヴィンチの「僕には絵はわからない」ソング。さっき大人な渋い演技が見れますと言ったのはどなたでしたでしょうか、嘘つきですね。ダヴィンチも十分お茶目さんです。天才芸術家、そして解剖学や機械、都市設計など様々な分野で才能を見せたダヴィンチが、僕には絵はわからない。でも描いてしまうけど、お金を払って買ってもらうのは恥ずかしい、倉庫にしまわれると死にたくなる、気づいてることを指摘されると死にたくなるし、気づいていないことを指摘されると死にたくなる!と元気に悩ましく歌いあげます。歌詞も、歌い方も十二分に天才の葛藤を表現しているのに、石井さんのお茶目さと天才ゆえの子供じみた感情はどこから湧いてくるのでしょうか。聞いていて、この相反する感情が同じフレーズに乗せられている技術に、(曲という単位ではなく、同じ音単位に載ってくるんですよ、反対側から生クリーㇺが飛び出る哀しいシュークリームにならないのが不思議です)訳が分からずすごい以外の言葉がありません。

 中盤~後半のシーンはネタバレ考察パートにとばして、最後の2曲&カーテンコール(?)を先に述べますが、天使2人がアイドルをしておりました。私はお恥ずかしながら次元を問わずアイドルライブへの参戦歴はなく、ペンラを振った経験もないペンラ処女でありますが、銀色のお衣装で背中合わせで振りつきで踊ってる姿はアイドルでございますわよね……?お二人を年齢高めのお二人と認識していたので、特に石井さんこういうこともするのか、勝吾さんすごく新鮮だ……踊ってる、と目をぱちぱちさせて焼き付けておりました。すごいな、さっきまであんな深刻そうな顔で演技していただろうよ……ふり幅すげえ、歌のクオリティもすげぇ、いや客席もあんまり慣れていない雰囲気があって、ペンラ処女は私だけではない……ばれていない……と言い聞かせておりました。各人のイメージカラーはお衣装にポイントで入っていたようなのですが、ライトが当たると勝吾さんのお腹のあたりのピンクの生地がキラッと輝いて素敵でしたね。客席のペンラ率は1割未満かな。あとは勝吾さんの「本日は誠に!」もさすがの腹式呼吸発声で健在でした。これを生で聴いたのも初めてだったのでとても嬉しいです。しかし、石井さんがさらっとしていたので、勝吾さんもあれっという感じでしたね。なんだかようやくいつもの勝吾さんの雰囲気を垣間見られた気がします。

 そのまま規制退場アナウンスに従って、興奮冷めやらぬままこうして思いの丈を書き散らしている次第でございます。お付き合いいただきありがとうございます。

☆解釈ネタバレ考察パート

(読解力不足ゆえ、随所に推察が入ることを最初にお断り申し上げます)

 ヴァレンティノはジャコモに対して何やら思い入れがある様子とありますが、それはほぼ間違いなくかつて愛した女性の存在が理由でしょう。ジャコモはダヴィンチが道端で肖像画を描いた女性の遺児として引き取ってきた子供だということが明かされます。(ダヴィンチいわく、お酒を少し飲んでいたんだそうで、酒の勢いだと言い訳しています。ここも子供じみていて茶目っ気がありますね)そして隠してはいますが、ジャコモは実は女の子、そしてヴァレンティノがかつて愛した女性ジャコミナ(?)と奇しくも同じ名前、よく見れば面影も……?

 ヴァレンティノはジャコミナにかの女性を重ね、ジャコミナに自分の姿を見て欲しい(思い出して欲しい?)と願います。しかし、天使は一人の人間の前にしか姿を現すことはできません。そこで考えた末に、ダヴィンチに自分の姿を画に描かせることにするのです。それも、素早くかけるフレスコ画ではなく、時間こそかかるが繊細なタッチで描けるテンペラ技法によって限りなく本物の姿に近い自分の姿を見せようと。これは愛ですね、自分の存在に気付いてもらいたい、でもそれ以上は望まないという謙虚に見えて実に固執した愛ですね。(愛ですよナナチ……)しかし、ジャコミナは視力が徐々に衰えていく病を患っていました。(だから、ダヴィンチは冒頭で君は目が悪いのか!?という台詞を言った申し訳なさそうな顔をしていたんですね)

 そんなジャコミナの不幸に対して、ヴァレンティノは早く絵を完成させねば一生見せることは叶わなくなってしまうという焦り、そして絵や美しいものが一等大好きな人間なのに目から光が奪われてしまうなんてなんて残酷なんだと嘆き悲しむのです。そして、涙を奪われて過ごしてきた月日を経て、奪われることの苦しみを一等理解しているからこそ、ジャコモがこんな目に合わなければならないのかという哀しみを舞台3階で歌い上げます。またここでヴァレンティノはさらっと「僕はもう慣れたが……」と言うんですが、慣れることをジャコミナにはさせたくないという、優しさも垣間見えます。(堕落した=人間の感情「愛」を得てしまったみたいなニュアンスなんでしょうか。しかしヴァレンティノは、白い鳥の件と言い、彫刻家や芸術家に片っ端からほれ込んでいることといい、なんともなへそ曲がりな博愛主義者?いえ、恋多き男ですね)

 また歌の中でジャコミナを「水面にうつった自分の姿」と称しているのですが、自分とジャコミナが似ているというのはどういう意味なのでしょうか。同じ奪われる苦しみを味わう者として似ているという意味なのか。それともかつての純粋に美しいものを愛した自分姿と、光が消えゆく世界で美しいものに感動するジャコモの心が似ているということなのでしょうか。

 ほかにも不思議なことは多くて、なぜかつて愛した女性に重ねたはずのジャコミナに自分の絶望を投影するのでしょう。ひょっとして、ミラノの路地で亡くなった女性がヴァレンティノと関係があったりしますか?(日本的に行けば生まれ変わりとか同じ魂とかでこじつけ解釈は可能ですかね、ミラノ的には不可だと思います)ヴァレンティノはジャコモにありとあらゆるものを投影しかねない勢いですよね。(※かつて愛した女性にジャコモを重ねているという推察から見当違いな可能性もあります)人間と恋に落ちたのは似た者同士故という話か、もっとぶっ飛んだ解釈をすればジャコミナとかつての女性の間には実は何らかの関係があってヴァレンティノが主によって涙を奪われてしまったように女性にも神は嫉妬して目の光を奪われてしまったとか、ジャコモもヴァレンティノに愛されてしまったので主が嫉妬して光を奪ってしまったとか、いろいろ考えられますがここまでくると推察ではなく幻覚ですね、自重しましょう。(遅い気がします)

 「胸が躍る♪ 空っぽの胸が~♪」の歌がヴァレンティノとジャコモのどちらの歌か忘れてしまったのですが、(ヴァレンティノだった気がします)限りなくジャコミナに近い感情で純朴に世界の美しさに感動する演技で歌われていました。この辺りはおそらく、ジャコミナの美しいものに純朴に好む姿を見て、涙とともに失っていた感動を、かつては美しいものが純粋に好きだった自分を取り戻していくヴァレンティノの救済のシーンなだと思いました。ヴァレンティノの特等席である舞台3階で、白のスポットライトを正面から浴びながらのびやかに歌い上げる姿はこういう勝吾さんが見たかった堂々No.1、光に向かって歩む主人公の姿そのものでした。

 ダヴィンチはヴァレンティノのテンペラ画を描き上げますが、完成したときには時既に遅く、ジャコミナの視力は完全に失われてしまっていました。しかし、君に天使の姿を見せてやりたかったのにすまなかったというダヴィンチに対し、ジャコミナは「子供の頃に誰にも信じて貰えなかったけれど僕はヴァレンティノの微笑みをみたことがあるよ」と言うのです。うーんわからない、間違いなくジャコミナは、天使(ルカや総称)ではなく「ヴァレンティノ」にあったことがあると言っていましたね。そして微笑んでいたと。ルカと指差してあんな顔嫉妬ソングを歌ってるとき、ヴァレンティノの姿が実は見えていたのでしょうか。それとも、ダヴィンチのもとへ来る前の記憶か、やっぱりかつての人間の女性と縁があってその記憶ぼんやりともっているのか……。はたまたぶっ飛び解釈ですが、ジャコミナがヴァレンティノの姿に似ているのなら、ジャコミナの母もヴァレンティノに似ているはずで、母の微笑みを記憶に残しているとか(ここでの「似ている」は姿かたちではなく魂の形的なニュアンスです)

 時代は飛んで現代、ルーブル美術館モナ・リザの前で500年ぶりに再会したルカとヴァレンティノはモナ・リザは誰の肖像画か?と揉め始めます。どう見てもヴァレンティノじゃないかというルカに対して、どう見てもジャコモだろうというヴァレンティノ。真相はわかりませんが、ダヴィンチがジャコミナに見せることが叶わなかった画はおそらくはモナ・リザのことを指すのでしょう。ということは、少なくともジャコミナとヴァレンティノはよく似た見た目をしているということ(2役1キャストなのがキーになっているんですね)。そして、ダヴィンチはヴァレンティノの微笑みを描いたはずですから、ダヴィンチの目から見たヴァレンティノの彼の心は、その肖像画がそっくり似通ってしまうほどにジャコミナの純朴に美しいものを好む心と同じ形をしていたのでしょう。私は画家は物体を描いているのではなく、その物に宿る魂を描いているんだよという話が大好きです。ここでヴァレンティノが最後にたどり着いた救済が、他者によって証明され、すこしハッピーエンドに近づいた感じがしました。

 さて、この解釈を引っ提げて来週答え合わせに2公演目に突撃しようと思います。長々とお付き合いありがとうございました!

書き漏れてしまった好きポイント
・ ヴァレンティノの小鳥のシーンで肩のヒラヒラをつまんで口元にもっていくしぐさが、ルカへの慈愛に満ちていて大好きだった。ひょっとしたらたまた手に引っ掛かっていただけで角度の問題かもしれない。

・ 勝吾さんの歌うときの「k」の発声が血を吐くような「kh」

・ ヴァレンティノの「僕は笑うんだ」の綺麗な自嘲の笑顔の美

・ 「主の真実は閉ざされた」と柵をつかんでいる手と顔にかざしている手の強張り具合がつらくて美。

追記の歌詞メモ

【ヴァレンティノ】

楽譜を燃やし 天才は寂しく死んだ 彼の墓に ヴァレンティノ

お前の分身 どうしても手に入れたい 石を粉々にし かけらを風に乗せ 送るのだ

作品を壊し 天才は寂しく死んだ 彼の墓に ヴァレンティノ

夜明けの星が住む 導かれた森で 次は探せるのか 千年いや 二千年後に 僕ら歌えるのか

⇒いい歌に見えてヴァレンティノの恋愛遍歴ソングですね

あの空 黒い森 白い小鳥 けがをして 小さい目が泣いていた

白い鳥は 幸せさ 苦しまず 死にもしない 天使にしてください

⇒ルカも大好きヴァレンティノ

許されたんだと思った 怒りはいつか 消え去るから 暗くなるのに

40日間 雪が降った 凍り付いた主の涙 40日間降り続いた 綺麗だった

⇒ヴァレンティノお前、主が本妻でその時惚れた人間で二股の常習犯だな

閉じ込められた僕のようだ 抜け出せない わかっている 闇に慣れてきて 

絵の僕と 絵を見てるジャコミナ 見つめあうとき 僕が泣けないのが せめてもの祝福

⇒一方的に愛しておいて祝福というのは厄介な奴だと決まっていますね。

 私のバイブル(PandraHeartsは最高なのでぜひ)では愛と生きろという言葉は「呪い」なのよ。


胸が躍る 空っぽの胸が 心臓がない僕の胸なぜこんなに踊る 

晴れの日 お前の涙が映す世界 輝いていたこと 伝えたい


【ジャコモ】

風の音 誰か囁く声 皆そんなことがつらく苦しいときに

風の音ささやく つらくかすかな記憶 苦しかった時も あれは夢なのか


【ルカ・ジャコモ】

例えばあの木陰潜んでるやつ ヴァレンティノ

やっぱり嫉妬?

⇒やっぱりジャコモにヴァレンティノは見えてるわよね?

3月2日(火)14:00~ 鈴木さん・石井さん回

 あら、当初の観劇予定にはなかった気がしますか。鋭いですね。石井ルカが忘れられずにチケット(と有給)を追加してしまいました。悔いはありません。初回の観劇からゲネプロ映像を何回も見て予習して、絶対に記憶に残して帰るポイントをリストアップした、万全の体制での二回目の観劇です。

☆感想☆

 なんといっても、鈴木さんも石井さんも初日より活き活きしてる。石井ルカと鈴木ジャコモが初日と比べてハチャメチャに愉快になっていました。観劇歴の浅いわたくしはこれが生の舞台か……とその尊さと記録に残らないはかなさをひたすらに噛み締めております。石井さんは天使についてで初めて出会った方なのですが、アドリブをぽいぽいぶち込んでいくタイプの方なのでしょうか。初日に覚えのない石井ルカとダヴィンチがたくさんいて、2回目のはずなのにびっくり箱を見ているような気持ちでした。

 石井ルカ登場シーンが、一人大劇場で大変可愛くて愉快だというのは前回で学んだ通りなので、今回は後で鮮明に思い出すことができるように、愉快ポイントをさくさく列挙していこうと思います。まず、「どこだ 祈ってる画家~ どこなんだ~♪」の可愛いポイントは(前回忘れてて悔しかったところ!)、どこなんだの語尾をあまり伸ばさずに☆が付きそうなポップな口調で締めるところですね。響かせる歌唱もできるからこその、あえて軽く遊ぶという、さすがの余裕と実力を感じますが、そういえば新米天使ではなかったのでしょうか。また、ぽくぽくと可愛い曲調で「たたたたた助けた~ま~え~♪」の2回目でオクターブを上がるところは、いったいどこから声を出されているんだろう?というチャチさと美しい高音が両立します。ダヴィンチの絵はわからないソングと同様に、石井さんは一つの音に複数の要素を乗せるの技術が上手すぎてびっくりしてしまいます。とても新米天使とは思えない堂々たる歌唱も健在で、特に、フレーズ最後のロングトーンを次のフレーズ頭と繋げて一息で歌いきる、ついでにロングトーンから高い所へこぶしを入れつつ登る歌い方が力強くて素敵でした。
 もちろんお歌だけではありません、羽は無いから猫のように飛び降りるんだ!と言って地上に降りてからも、しばしば猫の手ポーズをしていましたね(フリーホールにゃん(=^・^=))。例えばジャコモを待っている時とか、気を惹きたいのかしら……可愛いお茶目さんなルカですね。大失敗を犯していることにまだ気が付いていない、ジャコモに姿を現すシーンの「まだだ」のやれやれこれだから困ると言いたげな優しい笑みも。あと忘れてはいけないのが、ジャコモに「ちょっと待ってて、今ダヴィンチ先生が!」って放置されている間にパチパチパチパチパチパチパチとボディーパーカッションで暇つぶしをするルカ。すごい速さで膝をパチパチパチパチパチパチパチしていましたが、このルカは初日にいましたか?なんだこの面白いお兄さんは……と現在進行形で底なし沼のように引き込まれております。

石井ルカと鈴木ジャコモ「やっぱり嫉妬?ソング」
 この辺りはひょっとしてアドリブ祭りなのでしょうか。初日と印象が全然違って、こんな愉快なナンバーだったか?!特に振りが全然変わってるのです。まず、1回目にジャコモに「やっぱり嫉妬?」と突っ込まれてから、「僕が嫉妬……?」というときのルカが、つま先立ちでかかとをトントン(ブルガリアの波練かな?)しているしぐさが、何を言ってるのか本当にわからないと言った感じが出ていてとても楽しかったです。また、「ごめん そんなつもりじゃなくて」とジャコモを慰めに行くときに、腰を曲げてジャコモの顔を目線を下げて覗き込みに行くしぐさがとても慣れてて可愛くて、ああ、これをヴァレンティノに対してもやっていたんだなと自然と思いました。ヴァレンティノの後ろをとことこついていって、ちょっと意地悪で機嫌が悪いふりをするたびにこんなそわそわと可愛いことをされたら、それはヴァレンティノもルカのこと可愛くてたまらなくなってしまうな、可愛いのあまりわざとちょっかいかけてしまうのもしょうがないですね。ルカパートの次はジャコモは「風の音に耳を澄ませば♪」に合わせて、ジャコモはルカを相手に踊り出すのですが、ここのルカが死ぬほど適当で雑で最高です。ジャコモはルカの手をよいしょと取って、ラップされたり、決めポーズをとるのにルカに支えさせたりするのですが、ラップしてる最中のルカのこんなんでええか?ととても面倒くさそう。ジャコモを支えた後に何をやらされたんだ?と困惑気味に自分の両手を観るしぐさもとても最高でした。あと勝吾さんが、ジャコモの天真爛漫さを表現するのに片足をぴょいっとあげるポーズを取られるのですが、この上がってる御足の角度がぴょい♪っという感じで本当に可愛らしかったです。あれはジャコモ9才の足の上げ方でした。私にはわかります。

♪ ブラボー!フレスコ ソング🖌

 待ってました!!初日よりもジャコモがノリノリでブラボーしていた気がします。初日のジャコモは、手を口の横に添えて「僕はサクラですよ」と言わんばかりの よそよそしさだったので、とても対照的です。また石井さんの第一声の「フレスコ!!」が巻き舌でお歌放棄しての「ッフrrrrレッスコ!!!」で一気に雰囲気を持っていかれました。南イタリアピレネーの地中海を感じる陽気さですね(ミラノは北イタリアの内陸ですが)。フレスコソングと言えばダンスパートなのですが、石井さんと勝吾さんの踊り方もまた対照的で目が楽しいですね。石井さんはパッキパキ踊るタイプで、鈴木ジャコモぽよぽよあどけない感じで。ただ石井ルカは、登場シーンでもキレッキレののダンスと堂々たる歌唱で現れるのですが、タクトを振る振り付けだけ絶妙に優雅なのでがとても印象に残っています。この辺りの石田ルカの「早くていいぞ早いの最高!!」と一息で言い切るのもなんだかおもしろくなってしまいます。

 さて、今回絶対に目に焼き付けて帰るぞと意気込んでいったのが勝吾さんの「僕は笑うんだ」の凄絶な笑み。3列目からばっちりオペラで捉えてきましたよ。1回目観たときは、あきらめたような笑みの美しさという印象だったのですが、今回はまるっきり違いました。そんな静的なものではなくて、腹の底に煮えくり返る業火を飼っているような動きのある笑みでした。口を大きく開けて、口端は裂けたように綺麗に円弧を描いていて、どうして自分は理性を保っているのか、いっそ狂ってしまおうというような悪魔的な笑顔でしたね。スポットライトが赤で照らしているのも相まって、体の中に飼う煉獄とともに燃える地の底に沈んでいくような、色で例えると紅い笑みでした。ここに至るまでもたいそうな大ナンバーなのですが、「僕は泣けない、心臓の無い僕の心」と言った歌詞のところで、舞台の2階の柵に縋って心臓の位置をバシバシバシバシと叩きながら見えない壁に阻まれているような、何かに縋るような演技をしていました。このしぐさが、手に入らないものを必死で求めているような切実さ、あるいは主に見捨てられたときに、捨てないでくれとなり振りかまわずに縋るような、必死さという言葉では足らない感情がありました。言葉には残せない、こんな演技をするなんてやはりすごい役者さんです。一生忘れないぞと心に決めました。

 この辺りから前から3列目ドセンという圧に負けてまともな感想が残っていません。悔しい!!でもすごかった!!

書き漏れてしまった好きポイント散文

「なんだかきみ すごーーく がっかーーりしてないか?」の言い方が、そこで韻を踏みますか?という感じで楽しい、しかし勝吾ジャコモもすっごくきれいな作り笑いしていたので突っ込みたくなってしまうのもよくわかります。

ダヴィンチの時の石井さん目力が凄く眼光で人を殺せるなと思いました。特に、キャスター付きの椅子で移動しながら歌うシーンの苦悩と目力が圧倒的。

ダヴィンチがモナ・リザを書き始めるときに主に祈ってる(ように見せかけて実は全然祈ってない)ソングの歌詞で、「ちょっとならしてもいいです!」「天使は絶対送らないでください!!」ってキャンキャン歌うダヴィンチ可愛い。この時はお酒ちょっとじゃなくて結構飲んでますね。

 あと忘れてはいけないのが、カーテンコールからの退場。最後までチョコたっぷり、いえ見所満載で目が離せませんでした。鈴木勝吾さんはそのくそでかご挨拶で有名(多分)なのですが、初日の石井さんはさらっとしていたのですよね。それが2日目になって合わせようと頑張っていました!がそれを振り落としていく勝吾さんのクソデカご挨拶。見事でございました。あと、捌け間際で石井ルカがなぜか立ち止まって勝吾さんの持ってるバンダナに自分のバンダナをひっかけてぺんぺん草バトルをはじめました。一体何を始めたんだ??見てる客席は困惑ですが、きっと勝吾さんはもっと困惑してたように見えます。最後まで楽しいルカでした。

 

3月5日ソワレ17:30~ 鈴木さん/鍵本さん回

 3回目にもなると、台詞も歌詞も大体覚えてきました。今思うと1回目の考察がだいぶ違いましたね。きっとヴァレンティノは、かつての想い人にジャコモを重ねているわけではなく、ずっと小さいころからジャコモのことを見守ってきたんだろうな。

 さて、今回はほぼ勝吾さん定点カメラでの観劇でした。オペラをずっと構えていたので肩こりが酷い。しかし幸せな疲労ですね。

 今回の勝吾さんは、私が観劇した中では過去一ヴァレンティノの感情が荒れていたように感じました。千秋楽だから積み重ねてきたものがあるのでしょうか。一方でジャコモのシーンは対石井ルカの時よりも、落ち着いた雰囲気があった気がします。

 まずヴァレンティノのシーンは、お前いったい何回いうんだという感じですが、例の這いつくばって歌っているナンバー。今回は倒れ込むことなく、膝立ちで歌っていたので実質別物です。むしろ初日は柵に対して正面方向に倒れ込んで、足場の下に手を乞うように差しだす仕草をしていたきがするのですが、今回は膝立ちで天を仰ぎ見るような仕草でした。どっちも好きですが、個人的に3月2日マチネ回が一番打ち棄てられて、縋るような雰囲気があって好みです。さて、ヴァレンティノの感情の荒れが激しくなっていたというのはこの直前の歌詞「僕は主を裏切り 人間を好きになった」ここでいきなり曲調が変化するのですが、その時にガバっと上体を起こして正面に向き直り、こぶしを力強く握りしめる変化が一気に来るので、こちらも身構えてしまいます。「罪名は愛!!訳の分からない罰!!を受けた!!」のところも「愛」と「罰」という単語はもう叫ぶように、いや吐き捨てるように、顔をくしゃくしゃにして歌うのですね。日を追うごとに荒れていて、もう、ヴァレンティノ壊れてしまうよとそんな危うささえ感じる激しい感情の吐露です。この感情は怒りなのか、主に対するものなのか、自分に対するものなのか、言葉で言い表せるような単純なものではないのですが、本当に激情が表現されている圧巻のナンバーです。私はミュージカルではあまり劇中に拍手を送るのを好まないタイプの人間なのですが、ここは思わず自然と拍手が出てしまいました。

 個人的にヴァレンティノ救済ソングと呼んでいる「胸が躍る~」のナンバー。ジャコモと同じ純粋な美しきものを愛でる心がいっぱいに表現されたさわやかな曲だと思っていたのですが、実はそんな単純ではないのではと今日の荒れヴァレンティのを見て思いました「心臓のない僕の心 なぜこんなに踊る」のところだけ、春の陽気の下で深呼吸をするような爽やかさから一転して、心臓を4回ほどぶっ叩いて、そのまま引きちぎって目の前の虚空に叩きつける演技をするのです。よく聞けば台詞も「なぜ泣けない 目が痛い」なのですね。救済と悶えるような苦しみが並立している。美しさに心動かす=救済=欠けた部分の自覚とより一層の苦しみといった感じなのでしょうか。実はすごく複雑な感情が混ざり合って、あの透き通ったメロディーを作っているのかと表現力に驚くばかりです。

 珍しく歌ではない所でいうと「ルカの任務も失敗」「テンペラ画も完璧な失敗だった!!!」と言って笑い狂うシーン。今日のこの笑い、すごく長くなかったでしょうか……?この後に、泣き喚き吐き捨てるような「残酷だ!」があるからと待っていたのですが、なかなか期待の台詞が来ない。それどころが、笑いの種類がいくつか変遷している気さえします。悪魔的な哄笑と涙声でひきつったような笑い声と思わずこぼれてしまう自嘲のような笑いと。長いシーンで哄笑⇒涙声⇒自嘲⇒思い出したような露悪的な笑いに変化しているのかもしれないと感じました。笑い狂う、あるいはここにもいっそ狂ってしまえばといったヴァレンティノの感情が見えたように思いました。

 今回一番印象に残っているのが、ジャコモの最後のシーン。ヴァレンティノの「胸が躍る」と同じ曲を歌うのですが、途中、歌いながらしゃくりあげるような泣き声や声の震えを感じさせる部分があり、ジャコモ本当にガチ泣きしているのでは、と見てるこっちも涙がうつってしまいました。そんな涙声で歌っていたにも、関わらず、「むーねーがーおーどるー♪」になった瞬間、世界がパッと開けて、太陽の光がまっすぐ差し込んだような、圧倒的な声量とハリのあるお声で熱唱するのです。なにこのふり幅、私の情緒はもう振り落とされて涙腺がガバガバよ……。でもこのふり幅と表現力に、勝吾さんって本当に素敵な役者さんだなとおもいました。

 書き漏れた散文

「漆喰が固まったら♪」のところで、でをおでこにあてたポーズでピタッと固まる鈴木ジャコモがとっても可愛い。そのまま石膏にして飾っておきたくなってしまいます。アーアカイブの1時間40分50秒を観てくれ……

 1か所勝吾ヴァレンティノのソロナンバーでロングトーンがえぐい所があった、どこだっけ、覚えていない!悔しい!!それはそうと、「作品を壊して天才は寂しく死んだ」のところ勝吾ヴァレンティノがくっそ悪い顔してた。そのあたりの雰囲気と全然違ったので錯覚かと思ったけれど、悪い顔は天才に対してした表情ではないのかもしれない。

 ヴァレンティノによって任務が失敗したことを知り、落ち込んでる!と言いながらミラノの路地を足跡をつけずにとぼとぼ歩いているルカの歌。石井ルカ、歌ってなくて泣いてたな……と今日の真面目に謳っている鍵本君をみて思いました。あと石井ルカの固有台詞と固有仕草が多すぎる。あれもこれも固有ステータス、レアポケモンかよ(ポケモンはよく知りません)

 カーテンコールの勝吾さんの「マジで!?」の声が咄嗟に出たものとは思えないほどいいのと、お腹抱えて笑いながら、鍵本くんに、「じゃあ~~ってこと??」って突っ込みまくしたている姿は在りし日のヴァレンティノだと、観たこともないにも関わらず思いました。

 さて、本日の17:30~の RIKUさん・石井さんをの回を配信で観劇して、私の天使についてはおしまいです。舞台にはまって劇場通いをしたのは今回が初めてですが、観劇趣味めっっちゃくちゃ楽しいですね……なめていました。好きな役者さんが見るたびに増えて、これからがとても楽しみになりつつ、やや(いやかなり)財政的な心配もしております。また素敵な作品に出逢えますように!!

 お付き合いいただき、まことに、ありがとうございました!!

 

(といってアーカイブの感想も書くんだろうな)

 

配信期間が終わるまで

 配信期間中に実際に観たものの感想はこちらに残しておきます。忘れたころに、ヴァレンティノとダヴィンチについての盛大な幻想を書き記す予定なので、事実と幻覚の区分は大事です。

追記1 語り継ぎたい3月2日マチネの記憶

 配信(3月6日大千秋楽、5日ソワレ回)を観て、3月2日マチネ回の語り継いでいきたいシーンが蘇ってきたので、性懲りもなく追記です。

 石井ダヴィンチの絵がわからないソングの何が好きなのか

 40日間降り続いた雪の世界、勝吾ヴァレンティノが歌う世界の広さが千秋楽と全然違う。世界の広さとはいったい何なのかと言われそうですが、「雪が綺麗だった」と歌うヴァレンティノがに対する配置のされ方の話をします。2日の回は両手を地面についていた仕草もあいまって、ヴァレンティノが見てる視界は地面がほとんどを占めていました。それでいて降り続く雪はヴァレンティノと世界を隔てる厚く淡いベールのようで、この歌詞は彼は踏み入れることのできない、外側から眺めることしかできない世界の美しさを歌ってるように感じました。一方で、千秋楽はおそらくヴァレンティノは雪が降るのと同じ世界に配置されていて、主の凍り付いた涙をその身に受けることも実際にできている。けれど、かつてのようにそれは自分に向けて注がれたものではなく、主の意識を向けられることのないその他大勢の世界に無差別に降らせられるものなのです。その変わりの無い美しさと「許されたんだと思った」けれど自分に向けられたものなのかさえわからない。そんな主の無差別なギフトが降らされる荒涼とした世界にぽつんと残され、ただ雪を見上げるヴァレンティノ。どちらも冷たい虚しさを表しているのに、その中身は全然違うように感じました。

 また、罰を受けたのところで後ろに両腕を持ってくところ

 主の言葉を歌うときの、振り返り雲間から影を表すような表現からの、両手を広げて超越的な微笑みをするところ。ワタシ勝吾さんの人外の笑顔が大好きかな。

 両手を地面につけて伏せているところから、「暗くなるのに 暗くなるのに」に合わせて片手ずつ弾かれたように後ろに倒れ込み仰ぐ演技。この仕草、勝吾さんオリジナルかと思いきや、RIKUさんも似たような振りをしてるので付けられた振りのアレンジなのかもしれません。ここの弾かれ方とその後の天を仰いで隠しもせずに曝されるおはぐれた小さな子供のような今にも泣き出しそうな表情。衣装のかたのフリンジが凄くひらっとして良い、凄く辛いことにはかわらないのだけど。

 わらわなきゃ、3回アクセントいれるんだけども、膝をよく見る。

 ダヴィンチとの邂逅シーンのヴァレンティノ、日を重ねるごとにカッコつけてないかしら。千秋楽のオシャレ度がマシマシでした。全体的に歩き方がふらふらっと1箇所に留まらず、どこにもいないけどどこにでもいる、そんな雰囲気を醸しつつおしゃっれなのけど、特に最後に、筆にキスをしてミッションクリアを宣言するシーンとか、ダヴィンチに対して、自分の名前を教えるときに、顔を近づけて自分のお顔を指しながら「ヴァレンティノ」ってまるでとっておきの秘密だからとでもいうような。また、歩くときニふふんという効果音が付きそうな、小鳥に会いに行くための朝の散歩か??おしゃれだな。

 バカみたく祈ったヴィンチの眼光(何回も書いた気がしますね、しかし大好きなので何度でも書きます。)が、ミラノ一人相が悪くて最高でした。キャスター付きの椅子をコロコロ押して出てきたと思ったら、めちゃくちゃ大きく足を開いて、ドカッとだいぶお行儀の悪い感じで座るんですよね。手は、椅子の座面に添えて支えてるか、前で組んでいることが多かった気がしますが、やや俯きがちな角度で、客席をやや上目に睨むような表情で歌います。配信回千秋楽は、結構手ぶりがついている感じなのですが、2日の回はあまり動かず、かなり怖かった印象が残っています。

 ジャコモの最後、2日の回は、立ち上がっていなかったきがします?俯いてる倒れていったような………

 

追記2 アーカイブの記憶

 2公演分アーカイブが残っている特別待遇の石井さんですが、古谷ヴァレンティノの回とRIKUヴァレンティノの回で全然立ち回りが違うのですね。古谷ヴァレンは主に対する哀しみと感動を失った空虚な心を前面に出したキャラ作りで、静のヴァレンティノを描きます。一方でRIKUヴァレンにみられるのは理不尽に対する怒り。(ちなみに鈴木ヴァレンは自罰と道化だと思っています。聞いていません)

 この両極端なヴァレンティノを相手にするのが石井ダヴィンチなわけなのですが、古谷さんの回とRIKUさんの回でダヴィンチの方も変わってくるわけです。特に顕著なのが、『羨ましい』というヴァレンティノに対してのダヴィンチの台詞。

『羨ましい?』
『あそこから舞い降りることのできる天使が 永遠に死なない天使が 私のことを羨ましいだって?』
『ミラノを去る この私が』 

 古谷ヴァレンに対するダヴィンチは全体的に少し若い、くたびれていない印象を受けます。特にこの台詞は、ヴァレンティノの「羨ましい」にカチンときて、彼に対する苛立ちをにじませるとともに、人間とは異なる考えを持つ彼に対する、いいえ、出口のない人生に迷い続けている自分の一人問答に、諦念を覚えているように感じました。ダヴィンチにとって古谷ヴァレンティノは、何を打っても返ってこない、響かないような、少し気味の悪い存在だったのではないだろうか?必然的に、ダヴィンチの自己の中の一人問答が増幅されてぐるぐると一人悩み続けている。(きっとこのダヴィンチが書くモナ・リザはジャコミナだと割れて納得してしまいます)

 さて、ここのダヴィンチは「羨ましい」の語尾を下げることで、今お前はそう言ったな?と静かに諭してくるような怒りを見せます。「ミラノを去る」「私が」も同じです。でもきっとここにある苛立ちはヴァレンティノに対するものだけではなく、いつまでも諦めをつけることのできない自分に対する苛立ちもあるでしょうが、この静かな言葉に見間違いようのない怒りを感じました。

 一方RIKUヴァレンティノに対するダヴィンチも、声を荒げてはいるのです。むしろ古谷ヴァレンに対するよりも声色はずっと厳しい。けれど怒りは感じられず、癇癪のような。ダヴィンチが、RIKUヴァレンに対しては、ちょっとした癇癪をしょっちゅうぶつけられるような関係を築いていたのかなと思うのですが、どうなのでしょうか。

(ちなみに鈴木ヴァレンがいちばんダヴィンチに好かれそうで、本当かどうかはわかりませんが、仲がよさそうだなと思います。『人工の羽を研究中なんだ』というとき、ちゃんとヴィンチの目を見てお話を聞こうとしているし、人間にちゃんと興味を持っていそう。ダヴィンチが可愛いかわいいオタクになってしまうのも納得の可愛げがありますね、これは勝吾さんのファンの色眼鏡がかかっているのかな……)

 ダメ押しで鈴木ヴァレンと鍵本ダヴィンチの回について言うと、鍵本ダヴィンチのはこの台詞をしおしおと、力無く言うのですと言うのです。一方で、自他ともに認める激情を身に飼い馴らす鈴木ヴァは、鍵本ダの言葉尻にかぶせて、「ミラノを去る私g『羨ましい!!』」ですよ。どれもいいですね。

 

ずっと気になっているところ

「私はここも気に入っている」
「何かやるべきことがあるんだろう」

の後、ヴァレンティノはダヴィンチに向かって『ありがとう』というのですが、これは何対する感謝なのでしょうか?

鍵本ダヴィンチは、何について感謝されたのかわかっていない反応をされるんですね。そして鈴木ヴァレンはダヴィンチのその反応をみて、酷く可笑しそうに笑って去っていく。(ヴァレンティノはきっとダヴィンチによって救われているのですが、ダヴィンチはそんなつもりが無いんだということに気づいての自嘲でしょうか?自分は、勝手に救われていることに。でもね、石井ダヴィンチはきっとわかってるんですよ。ありがとう)石井ダヴィンチは行ってしまったな……ってちょっとだけ寂しそうな、ほっとしたような表情をするんですよね。

胸が躍るソング
「華やかな微笑みの仮面」の歌詞に合わせて片手ずつ順番に顔にもっていって綺麗笑顔を作るのですが、ここが完全に作り物の笑顔です。
「心臓が無い僕の心なぜこんなに踊る」の『何故』で両手を振り下ろすと、ヴァレンティノのヒラヒラが上に跳ねるのがとても印象的でした。これは鈴木ヴァレンティノの話でした。「悲しい 笑わなきゃ 苦しい 笑わなきゃ」の時の前髪も同じように跳ねるのですが、とても素敵なんですよね。(ちなみに胸が躍る~Frescoに間髪入れずに突入するわけですが、ここの曲の間のヴァレンティノの笑いが勝吾さんの上あごの歯並びが綺麗ポイントです)この辺りのヴァレンティノ(全編通してかもしれませんが、)は最高にロックで、「星を見るんだー!」のあと、下唇をかんで、星をつかんで振り下ろした瞬間にブラックアウトします。

 ちなみに、胸が躍るソングの石井ダヴィンチは、3回目のサビの入りに合わせて、パッと振り返るのですが、この絵を前にして、突然春の陽の日の光が差し込んで視界が開けたような清々しさが大好きです。5日も6日も、ヴァレンティノを差し置いてカメラに抜かれているので、カメラさんに感謝しかありません。