さとうの美味しいごはん

感想・考察など

雑文 1

人生は二度は無いのだからできるだけ楽しく生きていきたいじゃない。

私は長らくそう思って生きてきたし、それが正しいのだと、少なくとも他の考え方よりもベターだと信じていた。自己の行動とか、考え方とか、そういった内的な要因で苦しんでいる友人も少なくなかったが、私はそういった彼らに対して、ほどほどにすればいいのにバランスを取るのが苦手なんだろうなといった感想を正直抱いていた。今考えると、あまりに勿体なく、あまりに失礼だった。

苦しんで生きていくのも悪くないと思えるようになりたい。ある程度大人になって、苦しみに対する解像度が上がったと思う。苦しみという漠然としたひとくくりの感情に対し、いくつかのスコープでもって分節化してとらえることができるようになったのだと思う。分節化が適う以前の私が、内的要因による苦しみというものをどうとらえていたかというと、思いつくのは2つだ。まず、物事の捉えよう、すなわち悲観的なものの観方をするがゆえに自分の手の届く世界に対して、あるかもしれない可能性に過ぎない失望を抱き、これもまた確定していないままならなさを感じ続けるこの思考の傾向が自己に苦しみをもたらしているというのが一つだ。もう一つは、自己の相対的な優先度の低さに起因する不幸のことだ。周囲に優しく、利他的にを心掛けるあまり、自分の身と精神を削るような行動や思考をとり、それゆえに苦しみに陥る。これに対しては、ほどほどにすればもっと生きやすいだろうに、と全くの善意で休憩を進めていた。

最近得た3つ目の苦しみの分節だが、これは苦しみとはすなわち悩むことである。悩むとは思考の混乱であり、思考とは世界の解像度を高くし、世界の描画を深化させる行為である。まだこれを内部化するには時間がかかる。けれど、苦しんで生きていくのもいいのではないかといつか好意的な意味で使えるようになりたい。

話がうまくなりたいと常に思っている。そのためには練習や努力も多少なら厭わないと思うくらいには切実にそう思っている。しかし最近思うのだ。
私はそもそも話す内容を持ち合わせていないのではないか。
話がうまくなる技術の練習よりも先に、アウトプットして、自らの思考の浅はかさを見つめなおし、意識して思考を深化させる時間が必要なのではないか。

他人と話さないと、思考は深化しない。自らの思考の核に気が付くこともできない。
でも人と話す技術が欲しい。そんな堂々巡りを抜け出せる日は来るのか。

ウクライナの情勢が毎日何もせずとも入ってくる。
私の周囲には大学時代からのコミュニティがあり、歴史学や民族性に敏感な友人が多い。そういった彼らが盛んにウクライナについて議論をしたり、気を病んだりしているのを見て、一方で私はまったくそういった感動を覚えず、なんて冷たい図太い人間なのだろうと思ったりした。仮にも東欧のナショナリズム史を研究し、日々東欧の民族舞踊を踊り暮らしていた4年間だったというのに自分はそんなものなのかと。

最初の4日間くらいの話だ。
今日唐突に、いま世界で起こっていることが、自分が論文で書いたものと同じだということに気づいた。突然世界が他人事とは思えなくなった。恐ろしいくらいの変化だ。

従属的な地位にいる民族が支配的な地位の大国に対して蜂起を行なったとき、その暴力性は希釈され、むしろ英雄のように讃えられ、その憐れな地位への同情から支持を集める。そして、同じく従属的な地位にいる別の民族は、蜂起を実行した彼らを、なんのルーツの交わりがないにもかかわらず我が同胞と称して支持をする。この支持には別の意味があり、彼ら自身の支配者に対する間接的な非難と、蜂起によって集まった彼らの支持に自分たちの従属的な境遇に目を向けさせようという意図がある。というのが私の論文の主張であり、これを1963年のポーランドアイルランドの史料をもとに論じた。

ウクライナの国旗を掲げ、アチャラの民族舞踊をNYシティで踊るジョージア人の映像を見て、私が研究していたのはこれだと思った。同時にひどくショックを受けた。私は1863年の遠い過去だと思って歴史学を研究していたんだと思う。遠い時代の戦争とそこで交錯した歪な正義を読み解くのは楽しい。ファンタジー小説のページをめくる手が止まらないように、先が気になって仕方がない。
だが、これは今起こっていることで、私が紙面上で楽しく論じていたことも、実際に起こっていた悲劇なのだった。そう気づいた。